蜂とクモと ホタルの乱舞 の巻
このブログ立ち上げの動機は、前にも書きましたが、この春、となり部落にある実家「あやの里」で民宿「山の宿 あやの里」を開設しようとしたことにありました。(「あやの里」というのは、わたしの母親が「綾子」だったことにちなんで勝手につけた名前です。)
ところが、まさにそのときコロナ禍が起きて、民宿は開設しないまま今に至り、ひとりブログ頭だけが活動しているわけなんです。
まあ、本来なら何年か前に開設する予定だったのが、遅れに遅れたのですが、 齢(よわい)80歳にもなって民宿開設でもなかろう、というのが大方の見方であり、自分自身もそう思っておりまして、今では民宿開設の方はそう熱心でなくなってしまいました。でも、諸般の事情もあって、なんとか開設にこぎつけようとしているわけです。
前段が長くなりましたが、そういうわけで、よたよたながら、「あやの里」のほうも、少しずつ家のまわりの整備などもしています。
あやの里は、わたしの大好きな場所で、なんども転居をくりかえしたあげく、やっと落ち着いた、平家の隠れ里みたいなところです。
でも、山の中に暮らすためには、日々の手入れが必要です。草も木も虫たちも、それぞれの命を精一杯生きようとしますから、油断すると、すぐもとの山にもどってしまいます。
人間が生活するということは、自ずから手つかずの自然を壊すことと同義であって、すさまじい生命力をもつ木や草と格闘しながら、住む空間を維持するしかないのです。
先日、あやの里で、屋敷の前の低木の姫つばきを剪定していたら、突然蜂にやられました。ミツバチだと思いますが、茂みの中に巣があったんですね。何匹かに、手袋と長袖の上着の隙間の肌がみえるところを刺されました。
蜂さされには、タデとシロザが、効きます。前はたくさん生えていたのに、探してもみつかりません。しかたなく、そこらの草をもんで、その汁をなすりつけました。少しすると、傷みがすうっと退きました。
それでも、わたしは蜂の毒に弱く、特に足長蜂は危険で、さされると、ショックを受けるし、パンパンに腫れます。ミツバチでも、その後数日間、腫れが退きませんでした。1週間たった今でも、少し跡が残っています。
それから、クモも多い。でっかいクモが、家の中を徘徊しています。連れがこの大グモを見つけると、前に刺されたから、と言って、新聞を丸めてバンバンと殺してしまうので、連れに見つからないように、逃がします。
車に乗ろうとして窓を開けようとすると、小さなクモの巣がかかっています。朝、ベランダに出ようとして戸を開けようとすると、また小さなクモの巣がかかっています。家のまわりを何気なしに歩いたら、ふわっとクモの巣が、顔にかかる。いやあ、昔が戻りましたね。
とにかく、すでにブログで書いていますが、今年はどういうわけか、虫が多いのですね。コロナで人間の活動がしばらくの間、世界中で自粛されていたせいか、とも思います。なにしろ、空気もきれいになったんですからね。
ヒグラシがしばらく前から、夕方になると、雨降りでなければ、鳴きはじめました。ヒグラシのカナカナカナという声を聞くのも、しばらくぶりかなと思います。耳の悪いバーバにも、カナカナカナという蝉の声は、すばらしく清涼な感じで聞こえます。昼間、雨が降っていなければ、ミンミンゼミも少し鳴きます。あまりの長梅雨で、蝉も困っているでしょう。
あやの里では、家の周囲が谷になっているのですが、両側の谷から、蝉の声が、わんわんと湧き上がってきたものです。蝉時雨(しぐれ)といいますが、ほんとうにやかましいぐらい、雨のように蝉の声が降ってくるのです。
そして、ホタル。連れが、どうしてもホタルの写真を撮りたいというので、お化け除け!にまた三度、いっしょにいきました。
生息調査ではないので、もうほかの人はきません。
今度は、道から田圃におりて、畔道を奥の方まで歩いて行くのです。何しろのヨタヨタなので、杖をつきつき、おっかなびっくりで歩いていきます。
でも、現場についてみると、なんと、すごくたくさんのホタルです。
田んぼの隅の土の上で、何匹も固まって光っています。足元でもいくつも光っています。ふわっとわたしのほうにとんでくるのもあります。
「ホ、ホ、ホタル来い。こっちの水は甘いぞ、あっちの水はからいぞ」という歌がありますね。ふわふわとこちらに飛んでくるホタルを見ると、たしかに「こっちに来て」と言いたくなりますね。
このとき飛んでいたのは,もうほとんど平家ボタルです。源氏ボタルより小さいホタルですが、暗くなるにつれて、田圃一面、あちこちで光り始めます。
もう10年以上前から、何度もホタル観察に付き合ってきましたが、今回の、広い田んぼの上を飛ぶホタルの乱舞がいちばんすばらしかった。
でもね、残念ながら、連れの写真はうまくとれなかったようでした。
虫たちの旺盛な活動を見ていると、思うんですね。たとえ人間が滅びても「ほかのいのちは力強くつながっていくに違いない」(『生命をつなぐ進化のふしぎ』内田亮子著 ちくま新書)と。