盛んなるかな生命の世界 人間だけの一人勝ちはない
世界は異常な暑さに襲われている。周囲を緑で囲まれているわが家でも、室内で32度に達する暑さを記録した。なんナンデスカ、この暑さは!
大阪から越してきた28年前、夏の終わりには、ストーブを炊こうかしら、とおもうほど、肌寒かった。大阪で使っていた夏用の衣類は、長い間使うことがなかったが、最近になって使うようになった。大阪並みの暑さに襲われるようになったからだ。
それでも、窓も戸も開け放った家の中では、風がさやさやと吹き抜けて、夏らしい涼しさがほんとうに心地よい。
窓を開けることもできない過密都市の暑さは、耐え難いだろう。
20歳過ぎまで暮らした大阪の生家は、4車線の大きな道路に面していた。でも車の量は、今とはくらべものにならないほど、少なかった。
子どものころ、夏は戸をあけ放ち、おかげで砂埃誇りが舞い込んで、朝夕廊下の拭き掃除をしなければならなかった。
5人兄弟だったから、夜は、何人かのきょうだいといっしょに蚊帳の中で寝た。
汗っかきで、のどにあせもが出て、いつも白いシッカロールというやつを、パタパタとおしろいのようにつけていた。
今その実家に姉が住んでいるが、窓も戸も固く閉ざして、冷房をつけている。
28年前に長野に移住したころ、冷房をつけている家などまずなかった。でも、何年か前から、冷房機をつける家がふえてきた。駅前の電気屋さんが、冷房機の取りつけの仕事が増えてね、と言っていたのは、もう数年前だ。
お連れ合いが亡くなったあと、松本市内で一人暮らしをしている親しい友人が、冷房は要らないと言っていたんだけど、都会に出ている子供たちが、冷房をつけろと言ってつけてくれたのよ、と言っていたのが一昨年だったか。
一方、生き物の世界では、この暑さを謳歌しているように見える。
雑草のいきおいがものすごい。わが家の玄関前の小さい畑でも、畝もつくらず、肥料もやらず、草もあまり抜かない「自然農」なのに、野菜の苗たちはみるみる伸びて、キュウリもとれるようになった。
キュウリ採ろうとをして、枝葉に分け入ると、わっとクモの巣が顔にかかる。クモたちは、大小とりまぜて、大繁殖している。食べ物になる虫がいっぱいいるんだろう。
ちょっと困るのが、蜂である。
ミツバチに刺されても、それなりに痛いものだが、アシナガバチは、スズメバチの一種で、さされると危険だ。
アシナガは、思いがけない所に巣をつくっていて、うっかり彼らの縄張りを荒そうものなら、急襲してくる。これまでに、二度刺されている。
刺された瞬間は、ドン!という衝撃を受ける。目の上を刺された時は、目のまわりがお化けのように腫れあがった。二度目に腕を刺された時は、丸太んぼうのように腕がパンパンに腫れて、お医者さんに行った。
ひょっとして、と思ってベランダを探してみたら、あった!ベランダの軒下の、見えにくい所に、10センチ四方ほどのでっかい巣ができている!
そういえば、このごろ洗濯物を干そうとしてベランダに出ると、アシナガが一匹ふらりと飛んできたりしていた。あれは、偵察部隊だったのだ。
わたしは、殺虫剤などは使わないことにしている。そこで、長い竹ざおを使って、おっかなびっくり、へっぴり腰で、巣を叩き落した。
でも、スズメバチは強力で、次の日にはせっせと巣の再建をしている。ベランダに出ると、警戒のために、今度は数匹がとんでくる。洗濯ものも、干せない。
致し方なく、連れに、殺虫剤で殺してもらった。使わない原則の唯一の例外である。「蜂に悪いけどな」と連れは言う。
アシナガも、生態系の一員である。人間の都合で「害虫」とか、「害獣」とか決めつけるのは、傲慢だと思っている。
今のコロナ禍にしても、異常気象にしても、いわゆる科学技術の「進歩」で、「便利」で「清潔」な世界を進めてきた人間の傲りへの「警告」であり、「復讐」であると思える。
「生き物は、それぞれが懸命に生きているのですが、その結果どれもがそれらしく生きられるようになって続いてきました。それを支えているのが多様性です。他がいなくなれば、自分も生きられない。生きるために他のものを食べたり、戦ったりはします。でも、一人勝ちはない。皆がそれぞれ生きていて、皆がいないと成り立たない。一人勝ちを考える人間は賢いようにみえて、賢くないのではないかな。」
「現実の社会は、医療から犯罪までAIとやらに振り回されて、人間が自分で考えることを止める恐い世界に入りつつあります。この方向に行ったら人間はおしまい。みんなでよーく考えて欲しいのです。機械にふり回されず幸せに生きる道を自分たちで探そうと。
(『残す言葉 中村桂子 ナズナもアリも人間も』 平凡社 2018年)
世界は「皆がいないと成り立たない。」人間だけの一人勝ちはないのだ。