後の世界を考える 4  核兵器のない世界へ  

 核兵器保有国は、現在9カ国。でも、たくさん核兵器を持っている国は、国連常任理事国であるアメリカ、ロシア、中国、フランス イギリスの5カ国。

総数13400発。その9割は、アメリカとロシアが保有しています。それに比べると、北朝鮮核兵器など、赤ん坊のようなものです。

 

 今年は、1970年の核拡散防止条約(NPT)の発効から50年。日本も批准しています。NPTは、上記の5カ国以外は核兵器を持つことを禁じていますが、そのかわり、核軍縮について「誠実に交渉を行う」としています。

 

ところがここ数年、核大国は、核軍縮どころか、より高性能の核兵器や、使いやすい? 小型核兵器の開発と配備を進めています。(いつ使うの!)

そもそも、核兵器を持つのは大国だけの特権で、ほかの国は持つな、というのは、大国のエゴでしかない。人を納得させる道理はありません。

 

先ごろ、トランプ大統領は、核開発を「すばらしい偉業」だったと称賛。(7/16)ぞっとする話でした。アメリカは、核実験の再開も検討していると聞きます。

コロナ禍の収束のためには国際的に助けあうことが求められているのに、核戦争の危機は強まって、アメリカの科学誌(BAS)は、今年、地球滅亡までの時間を示す「終末時計」を、これまでで最短の“残り100秒”としたそうですね。

 

一方、8月5日、アメリカの「ロサンゼルス・タイムス」が、「日本を降伏させるために原爆投下は必要なかった」という、歴史学者らの論説を掲載しました。

結局アメリカが日本に原爆を投下したのは、大戦末期、米ソ冷戦の萌芽(ほうが)の中で、ソ連を抑え、世界の政治動向の主導権をにぎるためでした。そのことは、日米の歴史学者の間では、とっくに決着のついていた事実だったのです。

(『原爆はこうして開発された』山崎正勝 日野川静枝編著 青木書店 1997年。※10人の学者の共同執筆。お勧めです。)

いったん核戦争がおきると、敵も味方もありません。もし、核兵器を持つこと

が、ほんとうに核戦争を予防するための「抑止力」だというなら、すべての国が核兵器をもてばいい、ということになるじゃありませんか! 

核兵器保有は、大国の力の象徴。他国への威圧、脅しの武器にすぎない。だ

からこそ、大国は、核兵器を手ばなそうとしないのです。

 

ところで、「抑止力」のためというまやかしが通用するのは、未だ世界が、金持ちで大きな軍事力を持つ大国に支配されているからではないでしょうか。

この状況に対して、立ち上がったのが小国です。

2017年に、122カ国の賛成で国連で採択された「核兵器禁止条約」は、核兵器の開発、実験、製造はもちろん、備蓄、よその国への移譲、そして使用、威嚇のための使用も禁止。核兵器の完全な廃絶を目指す、ものすごいものです。

核兵器禁止条約」は、すでに44カ国が批准。あと6カ国の批准で発効。年

内の発効が予想されています。発効すれば、人類史の転換点になるでしょう。

 

ところが、日本政府は、唯一の被爆国でありながら、核兵器禁止条約に後ろ向きです。それどころか、今自民党は、コロナ禍をよそに、「敵基地攻撃能力」つまり、こちらから先に攻撃する能力の保有に向けて、軍事力アップに血道をあげているのです。

最強の軍事力といえば、核兵器です。日本で長年政権にある自民党は、戦争を禁じた憲法9条がありながら、「抑止力」として核兵器を持てる、と明言してきました。「大国」として核兵器を持ちたい、と考える勢力が、私たちの国を支配してきた、ということになりましょう。

 

世界の圧倒的多数の国は、核兵器など持っていません。

コロナ禍後は、大国の支配ではなく、小国の連帯とネットワークが世界を動か

すものになっていかねばならないと思います。国内でも、市民の連帯とネットワークによる政治へと転換しなければならないように。

 

わたしたちヒト(ホモ・サピエンス)は、38億年続いてきた生命の歴史の末(まつ)

裔(えい)。すべての生命はあらん限りの力で、自分のいのちを生きてきました。そうであるならば、ヒトも、自らのいのちの危険を回避するために全力を尽くすだろうと思います。そこに、わたしたちの希望があるのではないかしら。

NHK広島が、被爆75年にあたって調査したところによると、アメリカの若者(18~34歳)の7割が、そして日本の若者の85%が、核兵器の所有は必要ない、と答えたそうです。(8/3)

 

この8月、松井広島市長も、田上長崎市長も「平和宣言」の中で、日本政府に対して、一日も早い「核兵器禁止条約の署名・批准」を迫りました。

2017年にノーベル平和賞を受賞した核廃絶国際キャンペーン(ICAN・アイキャン)のベアトリス・フィン事務局長(35歳の美しい女性です。)は、初来日してこう述べました。

「日本は核兵器使用の実情を知っているにもかかわらず、(核の傘の下にいる

ことで)他国にも被害が及ぶことを事実上容認している。被爆者の体験と原爆の教訓を無視しているという意味では(保有国と)共犯だ。」(時事通信 8/7) 

 

核の傘を容認することは、核兵器を、軍事力として認めることであり、核戦争を容認することにほかなりません。

政治をわたしたちの手に取り戻さなければ、と思います。