コロナ後の世界 その5 子育ても共同で&「おばあさん仮説」

 人類の歴史について多少勉強したことを、№26のブログで書きましたが、

人類は、およそ700万年にチンパンジーと枝分かれして、二足歩行を始めたんですね。その前は、アフリカの密林の樹上で、果実とか虫とかを食べていた!

700万年のあいだ、人類はアフリカから世界中に広がりましたが、その間、20種類ほどの人類が誕生しては、滅亡した。そして、わたしたちの直接の祖先であるホモ・サピエンスが誕生したのは、ほぼ20万年前。

人類の歴史の700万年からすると、ほんの最近出現した新しい種ですね。

そして、わたしたちホモ・サピエンスは、最後の人類なんです。

 

密林からサバンナ(草原)に進出した人類は、危険な肉食動物が徘徊(はいかい)するサバンナで生き残るために、協力・共同する以外、道はなかった。獲た食べ物も、平等に分け合った。そうやって集団の力を維持することによって、生き延びてきた。人類が生き延びることができたキーワードの第一は、「協力・共同」と「平等な分配」だったのですね。

 

自分勝手で、ヒトを傷つけても平気な人間を「ひとでなし」というではありませんか。やさしい人を「にんげんてき」と言ったりするでしょう?

場面によっては、ヒトも、利己的で残酷にもなります。でも、ほんらいヒトは助け合うものだ、ということを、わたしたちは、ちゃんと心得ているのですね。

 

さて、「協力・共同」ということですが、人類は、子育ても「共同」でおこなったんですね。母親だけで子どもを育てる種とか、両親だけで育てる種とか、種によって子育ての仕方が違うそうですが、人類は「共同繁殖」の種なんだそうです。

つまり、人類は、母親だけでなく、父親、祖父母、きょうだい、その他、血縁関係のないものもふくめて、共同で子育てしていた。

大きい脳を持つ人類の赤ん坊の脳が大人と同じ重さになるには、7年かかる、でも、体が大人になるまでにはもっと時間がかかります。人類は、一人前になるまでに非常に手がかかる種だったからです。

 

ところで、特にヒトの女性の繁殖力は早く終わりますよね。月経がおわるのが50歳前後。でも、子どもを産めなくなっても、女性は元気に長生きしてきました。そのような種は、ほかにはないそうです。

もともと人類は長生きの種で、70歳くらいまでは生きるようになっていて、いつも一握りの年寄りは存在していた。先日ある本を読んでびっくりしたのですが、江戸時代に、杉田玄(げん)白(ぱく)という学者がいましたね。『蘭学(らんがく)事始(ことはじめ)』という本を書いた時、杉田玄白は、なんと83歳だったそうです。すごいですね!

(『自然に学ぶ』白川英樹著 法蔵館刊 2020年)

 

ところで、女性は男性より長生きですよね。

「おばあさん仮説」というのがあって、女性が長生きなのは、進化論的には、ヒトの子育てがあまりにも負担の大きい仕事なので、年寄りの支援が必要であったため、とする説ですが、学界でも有力な説なんだそうです。

 

 たしかに、孫はかわいい、と言いますね。わたしには、孫はいないのですが、若い友達が子どもさんをつれてくると、うれしくて、かわいいのですね。

わたしも、働いていたので、二人の子どもは保育所育ちですが、何かあるたび子どもの面倒を、実家の母にみてもらいました。母が、孫たちにしばらく会わないでいると、のどがガリガリするほど会いたくなる、なんて言っていたのを思いだします。祖母の役割があったんですねえ。でもまあ、年寄りには孫の世話は大変なので「孫は来てよし、帰ってよし」とも言いますけどね。

 

ですので、現在、核家族が一般的になり、社会の中で共同の姿がうすれて、子育てが母親だけの責任にされがちですが、それはまちがいなんですね。

親だけの責任にしない、子育てのネットワークが必要だと、人類学者の長谷川真理子さんは言っています。

「人類学、進化生物学の観点から見ると、親ばかりではなく、子どもを取り巻く社会のネットワークがうまく機能し、健全な共同繁殖の成り立つ社会づくりをすることが非常に大切であると言えよう。」

(『世界は美しくて不思議に満ちている』長谷川真理子著 青土社

 

じっさい、わたしの子どもの頃(70~80年前!)は、どこの親も忙しくて、働くばっかり。三女のわたしも、物心つくまでは、母親が背中におぶって仕事していた。なにしろ、洗濯機も炊飯器もありませんからね。

少し大きくなると、わたしは、ご飯を食べ終わるや否や、脱兎(だっと)のごとく外に走り出て、近所の子たちと、道路であそんでいた。(大都会大阪ですからね。) 

戦争中で、幼稚園にも行きませんでした。親なんて、どこにいるのか、気にしたこともなかった。母親が、「まあ、この子は、ひたむきに遊ぶ子だ」って思ったそうです。

 

子育ての極意(ごくい)は、「心にかけて、手をかけるな」と言います。わたしが思いきり外で遊べたのは、背中に親の愛情を感じていたからだったのでしょう。

 

コロナ後の世界は、協力・共同・連帯と、平等な分配、そして、子育ても共同、そんな社会でなくてはならないと思います。