あやの里だより №36 人にはこんな長所もある & 暮れの過ごし方の巻

 

人にはこんな長所もある & 暮れの過ごし方の巻   

薪ストーブを一日炊いていると、小さな家じゅう、あたたかくなります。先日、うっかりして、ストーブのそばに、前の日の、残った煮物の鍋をおいていたら、翌朝、煮物の上に白いカビが一面に浮いていました。

こまった!と思いましたが、物を捨てられない性質です。そのままにしていたら、まずいことに、連れにみつかってしまいました。「これはなんだ?」と言います。内心「しまった!」と思いましたが、手遅れ。でも、連れは、全然気にせず、食べるんです。「うまいぞ、ちょっと酸っぱいけど」と言いながら。

次の日、まだ残っている煮物を、恐る恐るちょこっと食べてみましたら、なるほど、発酵して少しすっぱくなっただけで、腐ったわけではないことがわかりました。

そして、そうだ、カレーにはトマトとか、酸味のあるものをいれるじゃないか、と気がつき、結局、その煮物はカレーに化けました。もちろん、炒めた玉ねぎやニンジンや、骨付鶏肉などは入れたんですよ。

その日の夕食は、カレーです。連れには、カレーに、発酵した煮物が入っていることは、内緒にしました。煮物に入っていたコンニャクは、わからないように小さく刻んでおきました。

でもね、なんだか、とてもおいしいカレーになったんです、ほんとうに。

つまり、連れの長所は、そのようなものでも、文句も言わずに食べてくれるという点です。すばらしいでしょ。ずっと前のことですが、牛乳がおかしくなっているのも「もったいない」と言って飲んで、別に下痢もしませんでした。これもすばらしかった! 食べ物を決して粗末にしない、地球にやさしい連れであります。

わたしは食い意地がはっているくせに、そのようなものを食べる勇気がないのです。戦争中の食糧難の時代に生まれ育って、なんでも好き嫌いなしに、ありがたくいただくんですけどね。でも、わたしの長所は、すこしすっぱくなったものも捨てないで、ちゃんとカレーにして食べる、ということになりゃしませんか?

 

ところで、最近、娘の友達が、連れの仕事の手伝いをしてくれているのですが、連れの薪割りの手伝いにも来てくれました。わたしがヨタヨタで役に立たなくなったからです。この方は、女優の田中裕子さんそっくりの美人さんで、わたしなどうっかり、本名じゃなく「ゆうこさん」と呼びたくなります。本名は、実はわたしと同じなんです。

うちの、小さい柴犬の老犬が、ベランダをよたよた歩いています。わたしが、「つくし(犬の名まえ)は、よたよたでしょ、もう歳だからね、目も見えないし、耳も聞こえないの。でもね、食欲だけはあるのよ。ね、太っているでしょ。わたしとおんなじなのよね。」と言いましたら、「ゆうこさん」は、「食欲があるって、いいことですよね。元気のもと」と言ってくれました。この方は、ときどき、ハッとするようなことを言ってくれます。「そっか、食欲があるってことはいいことなんだ」と、日頃、食欲がありすぎることを嘆いている私を励ましてくれました。まあ、勝手に励まされただけなんですけどね。

 

さて、庭師の連れは、ほとんど休みなしだった仕事がやっと一段落して、暮れは、薪割りのほかに庭の片付け。しめ飾りは、部落のしめ縄づくりの集まりに行って、作ってきました。そして、毎年のことですが、立派な門松もつくったんです。

わたしは、年末は、年明け早々に発行する『平和の種』という隔月刊の手作りの冊子の編集の仕事があり(3人でやってます。)、それに相当時間がかかるので、結構忙しいのです。中でも大仕事は、自分の原稿「憲法大好きバーバのつぶやき」。いつも苦心惨憺して書いています。これからお正月にかけて、頑張らねばなりません。

それから、野沢菜のつけこみ。と言っても、娘が、知人の畑から収穫させてもらい、洗って持ってきてくれたので、それを木の大きな桶に、塩と唐辛子と一緒に漬け込むだけ。楽なもんです。

以前は、まず隣のおばさんちの畑で野沢菜を収穫し、それを車でうちまで運んあと、三度ばかり水洗いしていました。たくさんだと、一日で終わらない、二日がかりの仕事になって、たいへんだったんです。(いつもよくしてもらったお隣のおばさんは、95歳くらいまで一人暮らしでしたが、今は、施設にいられます。)

この塩だけでつけたお菜は、春が過ぎると、だんだん黄色くなってきて、うっとりするぐらいおいしくなるんですよ。木の桶に住みついた酵母菌だかなんだかが、働いているんでしょうかね。(食べ物で、うっとりしやすいわたしです。)

娘が、このお菜の根っこのカブも、もらってきました。野沢菜のカブは、ひげ根がたくさんついていて、処理がいささか面倒なんですが、陶器のカメで酢漬けにしました。こうして、お漬物は、お菜の醤油漬け、赤かぶの酢漬け、大根の醤油漬け、先日娘が仕込んでくれた沢庵づけ、そして野沢菜漬け、といくつもできました。

漬物がいろいろあると、なんだかとても安心な、豊かな気持になります。

 

さて、数年前まで、隣部落の実家で、何家族も集まって、大々的なお餅つきをしていました。小さな子どもたちも何人もきて、とてもにぎやかだったんです。わたは、あんころもち担当でした。何しろのあんこ好き。地元の小豆を、沖縄の砂糖で炊いたあんこは、おいしいとヒョーバンだったんですよ。

でも、この小さい家に引っ越してからは、餅つきはよそですることになり、そこでついたお餅を娘がもってきてくれます。おせちも娘がつくり、娘の連れ合いが年越しそばを打ってくれて、大みそかにもってきてくれることになっています。有難いことです。

ところで、来年はどんな年になるでしょうか。

人間の幸せって、昔も今も変わらない。1年前に、アフガニスタンで命を落とした中村哲さんが口癖のように言っていたように、幸せとは「三度のご飯が食べられて、家族が仲よく故郷で一緒に生活できること」に尽きるかもしれません。「故郷で」ということは、戦争や飢饉や原発事故などで故郷を追われないで、ということですね。たしかに、これに勝る幸せはないんじゃないでしょうか。コロナ禍が早く終息して、こういう幸せが大切にされる世界になるようにと、つくづく思います。