あやの里だより №37 村上春樹『職業としての小説家』 

最近読んでおもしろかった本の一冊に、村上春樹のエッセイ集『職業としての小説家』があります。わたしは村上春樹が好きで、彼の作品はほとんど読んできました。

大江健三郎も好きだったんですね。でも、まわりには、大江さんが好き、という人はほとんどいませんでした。文章がぐだぐだとまどろっこしいというか、わかりにくいとか、言われますね。確かにそうなんだけど、でも、それは彼独自の世界を表現するためにふさわしい表現方法であって、ちゃんと理解できます。

特に大江さんの初期から中期までの作品が好きですが、後期の作品もほぼすべて読み、評論やエッセイも読んできました。大江さんは、人間存在の深い所までおりていって、たじろがずその暗い底まで見る、繊細なんだけど揺るがない、ものすごく精神が強靭です。しかも、その眼は遠く世界にも開かれている、そんなところに惹かれていたと思います。

 

ところで、村上さんは、大江さんと全く違う作風ですね。なにしろ、読みやすい。一見難解なところは、ひとつもない。だから、彼の作品は、老若男女を問わず、国籍を問わず、多くの読者を獲得している。(それでも、村上さんはきらいだ、つまらない、という人もいます。好き嫌いは、それこそ個性的なものですね。)

村上さんは、平凡な一人の生活者でありつづけている作家です。彼の作品の特質は、そこにあるような気がします。彼は自分のことを、「僕はあまりにも個人的な人間でありすぎる」と言っています。あくまで、自分自身である、自分の心が肯定する以外の生き方をしない、またできない作家です。でも、そんなふうに生きるって、けっこうたいへんなことじゃないかしら。

そして、村上さんも、人間存在の「地下の暗闇」におりていく。その勇気がある。したたかで深い。そういう意味では、大江さんと同じ、精神の強靭さをもっていると思います。

(わたしは、村上さんを読むと、かつて若い頃、おのれを偽って、というか、自分自身を貫けず、あらぬ方向を選んでしまったことが何度もあったことが思いだされ、いまだに歯ぎしりするような後悔の念にとらわれたりするのです。)

 

さて、村上さんは、1960年代の末期、学園紛争の嵐の時代に学生だった人ですが、そのころのことを「小説家になった頃」の章でこう語っています。

「その激しい嵐が過ぎ去ったあと、僕らの心に残されたのは、後味の悪い失望感だけでした。どれだけそこに正しいスローガンがあり、美しいメッセージがあっても、その正しさや美しさを支えきるだけの魂の力が、モラルの力がなければ、すべては空虚な言葉の羅列に過ぎない。… 言葉には確かな力がある。しかしその力は正しいものでなくてはならない。少なくとも公正なものでなくてはならない。言葉が一人歩きだしてしまってはならない。」

おだやかな語り口だけど、厳しいひびきがある。そして、深く共感します。

「学校について」の章もおもしろかった。その中の「想像力の対極にあるのが効率です。」ということばも、印象的でしたね。

 

ところで、この本で知ったことですが、村上さんは、自分のことを長編作家だと言っていますが、その長編を何度も書き直しているんですね。そのことを詳しく書いています。うなりました。

昔、ロシアの世界的大作家トルストイが、かの大長編『戦争と平和』とか『アンナ・カレーニナ』などを何度も書き直した、ということを知って、驚いたものです。まるで神様しか持たないような、それこそ俯瞰する目で、地上にうごめく人間群像を深くとらえて描いていますが、一度筆を下ろしただけであのように完璧に書けるわけはないとは思うものの、あの長編を何度も書き直す、というのも、驚嘆にあたいします。

 

さて、わたしは、いま、隔月刊の市民グループの冊子『平和の種』に「憲法大好きバーバのひとりごと」という短い文を、なんと2年以上連載させてもらっていますが、いつもふうふうで、百万回!書き直しています。

まちがったことを言ってはいけないし、自分の力に及ばないことを書くので、それこそ、勉強もうんとしなくちゃいけないし、冷や汗もので書いているんですね。2カ月に一回。わずか3、4ページくらいのものなのに、「苦労の種」!なんです。

でもね、村上さんは、「大事なのは書き直すという行為そのもの」と言い切っているんです。そうか、自分が短いものでも百万回書き直すのは、いいことだったんだ!

 

ところで、村上さんは、「好きなこと」、自分にとって「たのしい」ことをする、ということも、とても大事にしています。

となると、わたしにとって、憲法のことを書くなんて、荷が勝ちすぎて、しんどい仕事なわけで…。とはいえ、だれかに命じられてやってる仕事でもない。なにしろ、憲法を変えられたくない、という強い気持ちがありますからー。

ほかの市民活動もしていますが、それらの仕事は、わたしにとって好きというより、むしろしんどい仕事です。だけど、たくさんの人との出会いが得られるなど、得難いたのしさもあった。とすると、何かしら意義を感じてやるんだけど、やはり楽しいから頑張ってきた、ということになるのかな。

そして、多くの人がわたしと同じように、無償の仕事を、しんどいけれど、進んでがんばってやっている。そして、やはり、人とつながる楽しさをそこに見いだしているんじゃないかしら。人にとっていちばんたのしいことは、結局、人とつながる、ということかもしれません。

だれの人生でも、なぜか、生きることは、一筋縄ではいかない、困難なものです。はた目にはどう映ろうと、わたしにとっても、たやすいものではなかった。ともあれ、大げさなようだけど、人は、その時代に生まれた運命をそれぞれ背負いつつ、それでも楽しく生きようとするものだ、ということになりましょうか。