自然よ あなたは美しい   夏の風と立原道造

         

 さあっと、夏らしい、とてもさわやかな風が、へやの中を吹き抜けていきました。

 

一軒家に近いわたしの小さな家は、緑に囲まれています。

梅雨明けのその日、あちこちの窓をすべて開け放ちました。

ものみな、かびてしまいそうな長梅雨でした。異常気象の現われでもありましょう、

またもや集中豪雨による水害が、かの最上川流域で起こり、コロナ禍は勢いを増して、まるで地球全体が憂いと迷いに閉ざされたかのような日々がつづいています。

 

風は、わたしを、過ぎ去ったなつかしい過去の世界に引き戻しました。

わたしは、ふいに今までの鬱屈を解かれて、本来の自分にもどったような気がしました。

とても安らかな気持…。

 

自然よ、あなたは美しい。

 

そして、そうだ、立原道造が、美しい詩をかいていたなあと思いだしました。

 立原道造は、100年ほど前の詩人です。結核のため24歳で亡くなりました。

(1914年・大正3年~1939年・昭和14年

 

ひとり林に…… 立原道造

だれも 見てゐ(い)ないのに
咲いてゐる 花と花
だれも きいてゐないのに
啼いてゐる 鳥と鳥

通りおくれた雲が 梢の
空たかく ながされて行く
青い青いあそこには 風が
さやさや すぎるのだら(ろ)う

草の葉には 草の葉のかげ
うごかないそれの ふかみには
てんた(と)うむしが ねむつてゐる
うたふやうな沈黙(しじま)に ひたり
私の胸は 溢れる泉! かたく
脈打つひびきが時を すすめる

 

 

 

ベランダで洗濯物をほしていると、オニヤンマが飛んできました。なんと立派なオニヤンマ。でっかくて、威風堂々。緑の大きな目がきらきら輝いています。

オニヤンマはわたしのそばをぶいんと飛んで、いったん家の中にはいり、あれあれ、と思っていたら、また外に出て、どこかへと飛んでいきました。

ひさしぶりに見たオニヤンマ。

 

庭では黄蝶もまっています。

梅雨明けで、ミンミンゼミも朝から鳴き出しました。

 

玄関前の小さな畑で作業をしようとしたら、なんと、麦わら帽のひさしに、小さなクモが巣をはっていました!

 

人はみんな、美しい自然のなかで、自然と共に生きるべきだろう、と思いました。

 

 

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ウイキペディア より

 

蜂とクモと ホタルの乱舞 の巻

 このブログ立ち上げの動機は、前にも書きましたが、この春、となり部落にある実家「あやの里」で民宿「山の宿 あやの里」を開設しようとしたことにありました。(「あやの里」というのは、わたしの母親が「綾子」だったことにちなんで勝手につけた名前です。)

 ところが、まさにそのときコロナ禍が起きて、民宿は開設しないまま今に至り、ひとりブログ頭だけが活動しているわけなんです。

 

まあ、本来なら何年か前に開設する予定だったのが、遅れに遅れたのですが、 齢(よわい)80歳にもなって民宿開設でもなかろう、というのが大方の見方であり、自分自身もそう思っておりまして、今では民宿開設の方はそう熱心でなくなってしまいました。でも、諸般の事情もあって、なんとか開設にこぎつけようとしているわけです。 

 前段が長くなりましたが、そういうわけで、よたよたながら、「あやの里」のほうも、少しずつ家のまわりの整備などもしています。

 あやの里は、わたしの大好きな場所で、なんども転居をくりかえしたあげく、やっと落ち着いた、平家の隠れ里みたいなところです。

 

 でも、山の中に暮らすためには、日々の手入れが必要です。草も木も虫たちも、それぞれの命を精一杯生きようとしますから、油断すると、すぐもとの山にもどってしまいます。

 人間が生活するということは、自ずから手つかずの自然を壊すことと同義であって、すさまじい生命力をもつ木や草と格闘しながら、住む空間を維持するしかないのです。

 

 先日、あやの里で、屋敷の前の低木の姫つばきを剪定していたら、突然蜂にやられました。ミツバチだと思いますが、茂みの中に巣があったんですね。何匹かに、手袋と長袖の上着の隙間の肌がみえるところを刺されました。

 蜂さされには、タデとシロザが、効きます。前はたくさん生えていたのに、探してもみつかりません。しかたなく、そこらの草をもんで、その汁をなすりつけました。少しすると、傷みがすうっと退きました。 

 それでも、わたしは蜂の毒に弱く、特に足長蜂は危険で、さされると、ショックを受けるし、パンパンに腫れます。ミツバチでも、その後数日間、腫れが退きませんでした。1週間たった今でも、少し跡が残っています。

 

 それから、クモも多い。でっかいクモが、家の中を徘徊しています。連れがこの大グモを見つけると、前に刺されたから、と言って、新聞を丸めてバンバンと殺してしまうので、連れに見つからないように、逃がします。

 車に乗ろうとして窓を開けようとすると、小さなクモの巣がかかっています。朝、ベランダに出ようとして戸を開けようとすると、また小さなクモの巣がかかっています。家のまわりを何気なしに歩いたら、ふわっとクモの巣が、顔にかかる。いやあ、昔が戻りましたね。

 

とにかく、すでにブログで書いていますが、今年はどういうわけか、虫が多いのですね。コロナで人間の活動がしばらくの間、世界中で自粛されていたせいか、とも思います。なにしろ、空気もきれいになったんですからね。

ヒグラシがしばらく前から、夕方になると、雨降りでなければ、鳴きはじめました。ヒグラシのカナカナカナという声を聞くのも、しばらくぶりかなと思います。耳の悪いバーバにも、カナカナカナという蝉の声は、すばらしく清涼な感じで聞こえます。昼間、雨が降っていなければ、ミンミンゼミも少し鳴きます。あまりの長梅雨で、蝉も困っているでしょう。

 

あやの里では、家の周囲が谷になっているのですが、両側の谷から、蝉の声が、わんわんと湧き上がってきたものです。蝉時雨(しぐれ)といいますが、ほんとうにやかましいぐらい、雨のように蝉の声が降ってくるのです。

 

そして、ホタル。連れが、どうしてもホタルの写真を撮りたいというので、お化け除け!にまた三度、いっしょにいきました。

生息調査ではないので、もうほかの人はきません。

今度は、道から田圃におりて、畔道を奥の方まで歩いて行くのです。何しろのヨタヨタなので、杖をつきつき、おっかなびっくりで歩いていきます。

 

でも、現場についてみると、なんと、すごくたくさんのホタルです。

田んぼの隅の土の上で、何匹も固まって光っています。足元でもいくつも光っています。ふわっとわたしのほうにとんでくるのもあります。

「ホ、ホ、ホタル来い。こっちの水は甘いぞ、あっちの水はからいぞ」という歌がありますね。ふわふわとこちらに飛んでくるホタルを見ると、たしかに「こっちに来て」と言いたくなりますね。

 

このとき飛んでいたのは,もうほとんど平家ボタルです。源氏ボタルより小さいホタルですが、暗くなるにつれて、田圃一面、あちこちで光り始めます。

もう10年以上前から、何度もホタル観察に付き合ってきましたが、今回の、広い田んぼの上を飛ぶホタルの乱舞がいちばんすばらしかった。

でもね、残念ながら、連れの写真はうまくとれなかったようでした。 

 

虫たちの旺盛な活動を見ていると、思うんですね。たとえ人間が滅びても「ほかのいのちは力強くつながっていくに違いない」(『生命をつなぐ進化のふしぎ』内田亮子著 ちくま新書)と。 

コロナ後の世界 3 「人類は生きのびられる?」1

 山の中の部落に越してからできた友達のMさんは、わたしより3歳上の83歳。気持ちがまっすぐで、しかもおおらかな、素敵な友達です。

 先ごろ、Mさん宅でお茶をごちそうになっているとき、Mさんがふっと言いました。「100年なんて、短いわね。」

あれ、と思いました。実は私も最近、本当にそう思うようになっていたのです。

 

 若い頃は、100年なんて、とんでもなく長いと感じていましたが、最近は、『源氏物語』を書いた1000年前の紫式部も、『徒然草』を書いた650年くらい前の吉田兼好も、昔の人に思えなくなっていました。ともだち?みたいにね。

 読んでみると、今のわたしたちと考えることや感じ方が、おんなじなんですね。その上、なるほど、そうか、と教えられることも多い。だからおもしろい。

 

さて、1000年は短いと感じるようになってきたものの、でも、人類の歴史は、というと、とてつもなく長い。

類人猿の祖先から、ヒト(人類)がチンパンジーと枝分かれしたのが700万年前。その後20種類もの人類が、生まれては絶滅したそうです。

そして、今の私たちの祖先(現生人類・ホモ・サピエンス)がアフリカで生まれたのが20万年前ごろ。ホモ・サピエンスの一部がアフリカから出て、世界のあちこちに広がりだしたのが6万年前くらいらしい。(人類学も、新しい化石や遺跡の発見などで、それまでの定説がくつがえされることも多いようです。)

 

アフリカを出たホモ・サピエンスは、5万5千年前くらいに、中東で、先住人類のネアンタール人と出会った。その後北上したホモ・サピエンスは、ヨーロッパで、何万年かの間、ネアンタール人と共存して、混血もした。

わたしたちの遺伝子の2%以上が、ネアンタール人由来のものだといいます。

そう思うと、なんだかたのしいですね。

ずうっとさかのぼっていくと、今のわたしたち、一人ひとりの存在がすべて、はるか遠い生命の歴史(38億年)を背負っていることがわかってきて…。

 

ネアンタール人の歴史は30万年もあるそうですがが、とうとう滅びたのが3万年くらい前。なぜ彼らは滅びたのでしょう?

ネアンタール人の脳はホモ・サピエンスより大きく、筋骨隆々としていて体格も立派だった。最近の研究で、彼らはことばも話せたと考えられるようになったそうです。

ところが、そのころ地球は寒冷化して、ヨーロッパは時にマイナス30度にもなる極寒の地になってしまった。ネアンタール人は、その厳しい環境を乗り越えることができなかった、ということらしいのです。

では、わたしたちの祖先のホモ・サピエンスがなぜ生き延びることができたか。

ネアンデルタール人は、血縁関係中心の、多くても20人くらいの集団で暮らしていた。ところが、ホモ・サピエンスは、多い時には150人くらいの大きな集団をつくり、情報や知恵を共有することができた。

たとえば、動物の骨で針をつくって獣の毛皮を縫い合わせて暖かい外套をつくったり、道具の改良を重ねることもできた。そして、仲間と協力して、集団の力でマンモスなどの大型の動物も殺すことができるようになった。

 

つまり、ホモ・サピエンスが生き延びられたのは、脳を、そのように協力的・社会的な脳に進化させたから、ということのようです。

実験では、乳幼児でも協力することを好む性質がそなわっており、困っている人がいたら助けようとするそうなのです。

わたしたちホモ・サピエンスは、そういう社会的な脳を持っているのですね。

でも、ホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人より長く生き延びられるでしょうか?

 

多くの科学者や哲学者が、コロナ後の世界について、提言しています。

イタリアのパオロ・ジョルダーノという、物理学者で文学者の『コロナ時代の僕ら』という本を、図書館で借りることができました。

その一節。

 

「COVID-19(新型コロナのこと)とともに起きているようなことは、今後もますます頻繁に発生するだろう。なぜなら新型ウイルスの流行はひとつの症状にすぎず、本当の感染は地球全体の生態系のレベルで起きているからだ。」

 

感染症の流行は考えてみることを僕らに勧めている。隔離の時間はそのよい機会だ。何を考えろって? 僕たちが属しているのが人類という共同体だけではないことについて、そして自分たちが、ひとつの壊れやすくも見事な生態系における、もっとも侵略的な種であることについて、だ。」

 

考えてみると、ホモ・サピエンスは、誕生以来、集団と技術の革新によってふえつづけてきましたが、一方で、マンモス以下、多くの生き物を絶滅させてきました。さらに、今や技術革新は、その限界に達している。技術が、人類にも敵対する時代に入ってきた、というのが、わたしの感覚です。

コロナ禍後、わたしたちは、これまでの社会のありようを変えることができるのでしょうか? 変えないと、ホモ・サピエンスは滅びる、そう思えてならないのです。

 

※参考:『暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る』(山極寿一著 NHK出版)

『世界は美しくて不思議に満ちている』『物申す人類学』(長谷川真理子著 青土社

NHKスペシャル『人類誕生』など

80歳の門出と避難勧告

 初めての80歳!

 7月13日は、わたくしめの80歳の誕生日でした。

 ああ、ついに!

 70代というのと80代というのとは、とても気分がちがいます。

 

 夕食の用意をほぼすませたころ、連れが帰ってきて、「買ってきた!」というので、買い物袋をあけてみると…。なんと「夢に見た」ウナギのかば焼きと、お刺身が入っているではありませんか。ウナギは2割引きでしたけど…。(娘にそう言うと、「2割引き!半額やないなんて、すごいやん!」と言いました。)

 

 私自身は、スーパーのかば焼きコーナーは、のぞきもしません。だって、お高すぎますもの。何しろの金欠です。

 でも、家で話題にしたことはあったのです。

「スーパーに、うなぎたんと並んでたわ。売れるんかなあ。」(人(お店)の心配せんでよろしい!)

 「年に一回ぐらい食べたいなあ。」とかは、時々言っています。スーパーでお刺身コーナーを見ると、いつもお金持ちがいるんやなあと思いつつ、素通りして、安いお魚を買います。

 

さて、これまで連れがわたしの誕生日に何か買ってきたことはありません。

(あ、誕生日のこと、覚えてたんや、)と鰻とお刺身に感激しました。

2割引きのかばやきは、半分にすると、5㎝四方くらいのかわいいものでしたが、まことにおいしかったです。

お刺身は、タイやまぐろなど、いろいろ入っていて、1000円もしませんが、正価!だし、わが家にとっては豪華絢爛! とてもおいしくいただきました。

 

ちょっとお酒の入った連れは、「80年もよう長生きしたなあ」と言って、「ハッピバースデイ ツウユウ」と歌ってくれました。

まあ、連れと暮すようになってからの25年ほど、腹の立つことも山ほどあり、深い谷もあり、険しい道のりでしたが、この「ハッピバースデイ ツウユウ」で、昔のいろいろは忘れることにしました。

(ちなみに私は再婚です。補足しておきますが、連れはわたしより10歳年下なので、もうすぐ古希を迎えます。)

 

こうして、めでたく80歳に突入したわけですが、いつまで生きるかわからないものの、世は前途多難な時代に入りました。

 はじめて経験する「避難勧告」!

 この町は、犀川という、信濃川に通じる大きな河のそばにあります。

 8日の朝のことです。前の日から降り続いていた雨が、まだ激しく降っていて不安に思っていたところ、ついに市から避難勧告がだされました。

 

 今の家は背中に山というほどのものではないのですが、ゆるい斜面を背負っています。そう危なく見えないのですが、水の通り道になっているのか、とても湿っぽい、粘土質の土地柄です。

連れは、川や水のことを勉強したことがあり、少々詳しい。ここは地滑りの可能性があるから、やはり避難した方がいいと言います。

そこで、はじめて、リュックに緊急用のものを詰めていたら、雨が小降りになったので、避難はやめましたが、連れは、あの強い雨がもう少し長くつづいたらあぶなかった、と言っていました。

 

その日の昼頃、連れは、犀川を車で見に行きました。物見高い性質のわたしも、もうすこし若ければ見に行っていたのですが、何しろのバーバなので、行きませんでした。

しばらくして帰ってきて「こわかった」と言っていました。あとで、報道写真で見ると、もう堤防すれすれまで水があがっていました。

犀川のすぐそばの地区の人には、避難指示が出されました。一部で、水があふれたようです。でも、大したことにならなくてよかったです。そこここに知り合いがいますから。

 

もし土砂災害にあっていたら、どんなにたいへんだったろうと、つくづく思いました。現に先日の大雨で九州では大きな災害が出ました。

長野市でも、去年、犀川の氾濫による大きな被害が出ました。

被害にあわれた人の大変さが思われます。

でも、今後、どこで、いつ、どんな災害に見舞われるか、わかりません。

 

 現在、人間を脅かしている最大の問題の一つは、「温暖化」とそれに伴う異常気象、災害の多発の問題ですね。海水面の上昇は、過去100年で何と19センチにもなるとか。南太平洋の島々では土地の侵食で、移住も余儀なくされていますね。

もう一つは、人間がつくりだしてしまったものの、人間の手に余る「核=核兵器原発」の問題。

それだけでもたいへんなのに、それにプラスして、感染症の問題も出てきたわけです。今の新型コロナ禍がいつ終息するか、先が見えないだけでなく、新たな感染症に見舞われる危険も多いと言われますね。

 

 ダメ出しのように世界を襲った新型コロナの問題を考えると、今ある社会、生活をこのまま続けることはできないよ、覚悟しなさい、という自然からの警告、戒めのように思えてならないのですね。 

 これまでとは違う社会のあり方を模索する必要がある。80代への突入は、そんな時代の始まりと重なりました。

梅雨と畑とホタル の巻

 

梅雨の晴れ間です。外では、緑がぐんぐん冴えてきます。

家のまわりの竹は、伸びすぎても困るので小さいうちに切るのですが、一本、大木のように、天まで届けとばかり、大木のように伸びちゃっています。

わが家のそばの梅林は、ご近所の方のものですが、きょうは梅取りに見えている様子。おしゃべりの声が聞こえてきます。

梅雨とは、梅が実る頃の雨、という意味がよくわかりますね。

春先、梅林のやさしい香りがふんわりただよってきます。

 

先日うちに久しぶりに遊びに来てくれた若いお友達が言っていましたが、松本では、今年は鳥が元気、なんだそうです。そういえば、確かに鳥がよく鳴きます。ずいぶん耳が遠くなって、連れが、「鳥が鳴いてる」と言っても、「ええ? 聞こえない」と言う始末なので、実際はもっとたくさん鳴いているのでしょう。

 

今年は、例年よりたくさん蝶も舞っています。

あ、オオムラサキ! 久しぶりに華麗な蝶をみました。

山の中に越してから18年。

越したばかりの頃と比べて、ものすごく昆虫が減りました。

 

以前は、夜台所の窓ガラスの外側に、様々な蛾がびっしり張り付いていました。

コクワガタがしょっちゅう家の中にまではいりこんでいました。

朝歩いた時にはなかったのに、午後同じ場所に壮大なクモの巣が張ってあるのに気がつかないで、顔とか頭に、わあっと引っかかることも、よくありました。

トマト畑には、クモの巣がびっしり。すごかった。

台所に小さい虫が飛んできて困るので、ハエトリガミをつるしていたら、いろんな小さい羽虫が、びっしりはりつきました。ちょっと残酷な眺めではありましたが。網戸はもちろんしていますが、入ってきたのです。

 

でも今は、その必要はまったくなくなりました。虫のすがたがほとんどきえました。クモも、ものすごく減りました.餌の虫がいないのですからね、クモもやっていけません。地球温暖化のせい? 農薬のせい?

 

ここ数カ月の人間の活動の自粛で、空気がきれいになったと言われます。

仕事で街に出かけている娘も、空気がきれいになったと言います。

「でも、自粛が終わったから、またきたなくなってきた。」と言っていました。

中国でも空気がきれいになったそうですね。

イギリスの大学などの国際研究グループが、4月、世界の二酸化炭素排出量が、前年比で17%減少したと発表しました。

インドのガンジス川も、沿川の工場の操業停止で、ものすごくきれいになったというニュースも見ました。

 

ところで、最近わたしの住む山里では、シカやイノシシに荒らされるので、みなさんが畑に柵を巡らせるようになりました。

わたしも、さきごろ、玄関前の小さな空き地に、トマト、きゅうり、ナス、ピーマンの苗を植えました。獣がでることと、足が弱ってよく歩けないことで、玄関前につくったのです。

前はもっといろいろ畑に作っていたのですけどね。

 

以前いた「あやの里」では、鶏も飼っていました。こちらでも飼いたいのですが、なにしろよたよたなので、ちょっと無理みたいです。とても残念です。

身動きできない小さなゲージで一生を過ごす、卵産み機械のようにされている鶏のことを思うと、鶏は飼いたいのです。

鶏がどれほど草が好きか、どれほど元気に歩き回るか、人間にどれほどなつくか、そして一羽、一羽性格がちがうことも、よく知っています。

鶏は、どんな残飯や野菜くずも食べてくれるし、チキントラクター」と言われるほど、雑草を食べてくれる。すばらしい生活の同伴者なのです。

庭では犬と猫と鶏が同居して、「ブレーメンの音楽隊」状態になったりして、たのしかったものです。鶏がいちばんいばっていましたね。

 

先日、連れが言いました。「山羊を飼いたいな」って。「ええ? 山羊? 飼ってどうするの?」と聞きましたら、「ペット」ですって!

山羊を飼えば、草刈りは不要になります。たしかに、それはいいかもしれない。

でも、世話はだれがするの?「わたしはできないからね。」とクギをさしておきました。生きものを飼うということは、原野ではありませんから、世話が必要です。まあ、今でも忙しすぎるぐらいなのに、気の多いお方ですこと!

 

連れは、このところ、毎夕のように、仕事から帰ってきて、ごはんをそそくさと食べて、一寝入りしてから、源氏ボタルの生息調査に出かけています。松本市内と、旧四賀村の二ヶ所でやっています。いちばんホタルが出るのは、旧四賀村の、人が住まなくなった地域の小さい川。

そこでは、ホタルがたくさん舞って感動的なんです。ただし、街灯もなくて真っ暗なので、連れは、「のっぺらぼうが出るかもしれん。」とか言って、一人で行くのをいやがるので、わたしもよくつきあっていました。わたしが行けない時は、犬を連れてホタル調査に行っていましたが、今は、わたしもうちの老犬も、どちらもよたよたで、お化けよけの役に立たなくなりました。

でも、2,3日前、ホタル調査の最後の日、「きょうは、みんなが集まるから、行こうや。」と誘うので、久しぶりに、老犬といっしょにホタル調査についていきました。車で20分くらいのところです。

まあ、ホタルのものすごいこと! 川向こうの、真っ暗な小高い茂みをバックに、たくさんの源氏ボタルが飛びかっていました。ホタルは川のこちら側にもとんできて、目の前をすいと飛びます。久しぶりに夜の森と川のにおいにつつまれて、遠い縄文時代のことを思いました。

映画『誰も知らない』(監督:是枝裕和)

前号で映画の『老人と海』について書きましたが、やはりNHKのBSで見たのですが、映画『誰も知らない』(2004年 監督:是枝(これえだ)裕和)は、昔見て、とても深く心に残った作品でした。もう15年も前の作品だったんですね。

 

是枝監督の映画で、この作品以外にわたしがこれまでに見たのは、『そして父になる』(2013年)と 『 海街(うみまち)diary(ダイアリー)』(2015年)の二本です。

どちらも、いい映画でしたね。

是枝監督の最新作の『万引き家族』(2018年)は、まだ見ていませんが、第71回カンヌ国際映画祭で、パルム・ドール(作品賞)を受賞したんですね。

 

さて、『誰も知らない』は、ちょっと不思議な作品でした。

父親はいない。母親もなんだか不在がちの家族。小学校5,6年生くらいの少年が長男。妹は小学校3,4年生でしょうか。あと、幼い妹と弟がいます。

このきょうだい、じつは、父親が全部ちがう。お母さんはそういう人です。

(この少年を演じた柳(や)楽(ぎら)優(ゆう)弥(や)は、第57回カンヌ国際映画祭最優秀主演男優賞をもらって、有名になりました。)

 

お母さんは勤めていて、夜おそく帰ってくる。しかも、気まぐれな人で、毎日家にいると限らない。だから、上の二人の子どもを学校にやっていない。長男が、遠慮気味に学校に行きたい、と言っても、軽くいなしてしまう。

しかも、アパートの大家さんには、子どもがぜんぶで4人もいることを隠している。外に出られるのは、上の二人だけで、下の二人は、外にも出られない。

普通にいえば、実にいいかげんで、無責任なお母さんです。ところが、帰ってくると、子どもたちをかわいがります。散髪してやったり、お風呂にいれてやったり。そして、最低限のお金もおいていく。

上の二人には、お母さんが自分たちに愛情を持っていることはわかっている。父親たちはいるんですが、知らんぷりしているのです。だから、子どもたちも、そんなお母さんでも、好きなんですね。そして、このような状況でも、子どもたちは、人としてまっとうに育っているのです。

 

ある日、お母さんが長期に留守をすることになった。お金もいつもよりたくさん置いていった。お母さんがいないから、全責任が長男の肩にかかってくる。買い物したり、ごはん作ったり、お母さんのおいていったお金の計算をして、家計簿もつける。妹もお兄ちゃんに協力して、家事もし、下の子の面倒もみる。そして、二人とも、勉強もする。この二人の兄妹は、実にけなげで、責任感も強い子たちです。そして、父親ちがいだけれど、とても仲のいい4人きょうだいなんです。

お母さんは帰ってこないし、連絡もない。そして、とうとうお金はすっかり無くなってしまう。困った長男は、子どもたちの父親だとわかっている男を二人ほど訪ねて、お金をもらいに行ったりもする。無責任な父親だとわかる場面です。

ついに、電気はもちろん、水道まで止められてしまって、公園の水道を使うしかなくなる。家の中はしだいに汚くなり、彼ら自身も、髪もぼさぼさ、臭くなってくる。

 

彼らの窮境を見かねて、助ける人もいる。少年がいつも買い物をしているスーパーでは、売れ残りの食品を、長男にやっている。スーパーで、長男は、万引きの疑いをかけられたこともあった。でも、彼はいかに貧乏でも、決して万引きはしない。そういう子なんです。

 

とはいえ、長男自身もまだ子どもです。友達と遊びたい。野球もしたい。たまに、以前通っていた学校の友達の仲間にいれてもらって、いっしょに野球することもある。万引きしている悪ガキでも、友達になりたくて、家に誘って、いっしょにゲームをしたりする。でも、そのうち彼らも来なくなる。家の中が乱雑で、臭かったりするからですね。

長男が、だれかに、施設などに救いを求める方法もあるんじゃないか、と言われて、こう答える場面がありました。「そうすると、きょうだい4人一緒にいられなくなる」と。これも、印象的な場面でしたね。

 

そんなある日、長男は、学校をさぼって公園で過ごしている中学生の少女とであう。少女は、学校でいじめにあっている。家にも居場所がないようす。

こうして、彼女は彼らの家に来るようになって、彼らと家族のようになっていきます。

ところが、上の二人の子がいないときに、小さい妹が椅子から落ちて、打ち所が悪くて死んでしまう。

かわいがっていた妹が死んだと知った時の衝撃の大きさは、きょうだいにとって、はかり知れないものだったでしょう。でも、映画ではそこは描かれないまま、最終章にむかって、たんたんとつづきます。

長男と長女と、そして中学生の少女の3人は、死んだ妹を車付きの旅行バッグにいれて、電車に乗って、空港の空き地にうめに行くのです。無言で、固い土を手で掘りつづける姿が、彼らの深い悲しみを強く印象づけます。

 

そのあと、お母さんから手紙とお金が送られてくることで、少しだけほっとする結末になります。お母さんは、再婚していたのでした。

 

このような暮らしをしている子供たちがいることを「誰も知らない」

 

この映画には、子どもたちが、そのような、極限の暮らしのなかで、それでもお互いに大切に思いあって、むしろ大人たちより、人としてまっとうに生きている、その感動があります。

と同時に、映画は、今の社会に広がっている底辺の風景を切り開き、わたしたちの生きている社会の構造が、どれほどいびつで、残酷なものであるのかを、明らかにするのです。

子どもたちを育てるのは、社会全体の責任なのです。

映画『老人と海』― 人は死ぬまで格闘する

先日、映画『老人と海』を、NHKBSで見ました。前にも書きましたが、わが家は、山の陰になって電波がとどかないらしくて、地上波テレビは映りません。BSだけは映るので、たまにいい映画があるときは、見逃さないようにしていますが、これも、暇があるからー。ヒマってほんとにいいですねえ。

 なんてことが言えるのも、年金暮らしで、コロナの影響を経済的にはあまり受けていないからなんですけどね。(そもそも懐具合は、いつも超寂しい!)

 

でもね、来月で80歳になるんですよ! すごいでしょ。

長生きしてる方が多いから、別にすごくないんですけど、自分にとっては、すごいことなんですよ。だって、80歳になるの、はじめてですからね!?

でも、なんでコロナでヒマって言わなきゃならないかって言うと、日ごろ、歳に似あわない、多忙な日々を送ってるからなんです。

 

民宿のこともありますし、もうひとつは、平和のための市民活動でいそがしいんです。やれやれ。なんで年寄りがって、思いますけどね、それはね、憲法を変えるって、息巻いている人が、わが国の首相だからなんですよ。「積極的平和主義」なんて言葉がこの方の口からとびだしますと、ええっ!?となります。

だまされちゃいけません。この方が首相になってから、ものすごく日本が剣呑になってまいりました。「剣呑」って「けんのん」って読みます。あぶない、っていう意味ですわ。

 

数日前に、「敵基地攻撃能力」を持たなきゃいかんぜ、とおっしゃって、びっくりいたしましたわ。

つまりですね、ミサイルとかで、敵の基地を叩く、そういう軍事力が必要だぜ、とおっしゃったんですね。それって、攻撃される前に、こちらから先に敵を叩く、ってことですから、要するに戦争を始める、ってことじゃないですか! 

これが、首相の言う「積極的平和主義」の中身。

 

「自衛」のためなら、「核兵器」持ってもいいと思ってらっしゃることは、間違いないでしょう。自民党の持論ですしね。

そして首相は、戦争はしちゃいけないよと定められた憲法9条を、どうしても変えるんだ、来年はそのための国民投票をする、と頑固におっしゃってます。

最近の世論調査では、7割の人が憲法9条を変えることに反対してるのに…。

かように、どんどん戦争する国にもっていかれそうで、そうはさせまいと、気張らざるを得なくなっちゃって、忙しくなったというわけだったんです。

 それなら、コロナでヒマなんて、喜んでいちゃいけないのかもしれないんですけどね、まあ、もう80歳ですからね、青息吐息、つまりヒーヒーなもんですから、ヒマになってうれしかったんですね。

 

 お、やっと映画の話にもどります。映画の話をいろいろしたいんですけどね、きょうは、一番最近に見た『老人と海』(1958年)だけになりますね。 

これは、アメリカの作家フェミングウェイの作品をもとにした有名な映画ですよね。小説のほうは、昔読んで、特に面白いとは思わなかったんですが、この映画はとてもおもしろかったですね。

 

   漁師の老人が主人公。妻も死んで、不漁つづきで、食うや食わずの、極貧の一人暮らし。舞台はメキシコ。老人のまわりには、老人ほどではなくても、貧しい漁師達が住んでいて、老人は、そこに住んでいる10歳くらいの少年と仲良しなんですね。「老人と少年」と言っていいような、作品です。

老人は、長年の労働で鍛え抜かれた屈強な体とすぐれた漁の腕前を持っているのですが、今ではすっかり老いてしまっています。それでも、漁師としての誇りだけは持ち続けているんです。

 

  ある日、いっしょに行きたいとせがむ少年をおいて、老人は一人漁に出かけます。沖合で出会ったのが、見たこともない巨大なカジキマグロ。船、と言っても手漕ぎの小さな船ですが、ともかく船よりでかいのです。

  映画は、老人が、この巨大な魚と格闘する様を、見事な映像で見せてくれます。巨大な魚は、釣り針がひっかかったまま、なかなか降参しません。カジキと老人の、死に物狂いの闘いが、何日も続くのです。老人は眠ることもできません。

 

 老人の仕事は魚をとること、殺すことなんです。でも、老人は魚たちに敬意と愛着も持っているんですね。格闘している相手のカジキを、仲間のように思ったりするのです。

でも、ついに弱って死んだカジキを船の横につないで、帰ろうとするのですが、血の匂いを嗅ぎつけた無数のサメたちが、カジキを食いにやって来ます。老人は、今度はサメどもと闘わなくてはなりません。

サメたちと闘いぬいたあげく、骨だけになった巨大な魚を供にして、やっとのことで老人は帰港します。

 

「みたこともないほどの大きなカジキだ」と村人の讃嘆の声が聞こえてきますが、何しろ骨だけです。老人には何の収穫もないと同じです。

疲れ果てて眠っている老人を少年が訪ねます。食べ物と飲み物を持って。少年の目には老人は英雄です。

しかし、この英雄は、自分の手柄を誇ることもなく、たんたんとしています。

人は、死ぬまで格闘する、自分のありったけの力を注いでー。そんな老人の姿は、わたしたちの心を打ち、そして、励ましてくれるようです。

偉大な海―自然とともに生きることの美しさも、伝わってきます。