映画『誰も知らない』(監督:是枝裕和)

前号で映画の『老人と海』について書きましたが、やはりNHKのBSで見たのですが、映画『誰も知らない』(2004年 監督:是枝(これえだ)裕和)は、昔見て、とても深く心に残った作品でした。もう15年も前の作品だったんですね。

 

是枝監督の映画で、この作品以外にわたしがこれまでに見たのは、『そして父になる』(2013年)と 『 海街(うみまち)diary(ダイアリー)』(2015年)の二本です。

どちらも、いい映画でしたね。

是枝監督の最新作の『万引き家族』(2018年)は、まだ見ていませんが、第71回カンヌ国際映画祭で、パルム・ドール(作品賞)を受賞したんですね。

 

さて、『誰も知らない』は、ちょっと不思議な作品でした。

父親はいない。母親もなんだか不在がちの家族。小学校5,6年生くらいの少年が長男。妹は小学校3,4年生でしょうか。あと、幼い妹と弟がいます。

このきょうだい、じつは、父親が全部ちがう。お母さんはそういう人です。

(この少年を演じた柳(や)楽(ぎら)優(ゆう)弥(や)は、第57回カンヌ国際映画祭最優秀主演男優賞をもらって、有名になりました。)

 

お母さんは勤めていて、夜おそく帰ってくる。しかも、気まぐれな人で、毎日家にいると限らない。だから、上の二人の子どもを学校にやっていない。長男が、遠慮気味に学校に行きたい、と言っても、軽くいなしてしまう。

しかも、アパートの大家さんには、子どもがぜんぶで4人もいることを隠している。外に出られるのは、上の二人だけで、下の二人は、外にも出られない。

普通にいえば、実にいいかげんで、無責任なお母さんです。ところが、帰ってくると、子どもたちをかわいがります。散髪してやったり、お風呂にいれてやったり。そして、最低限のお金もおいていく。

上の二人には、お母さんが自分たちに愛情を持っていることはわかっている。父親たちはいるんですが、知らんぷりしているのです。だから、子どもたちも、そんなお母さんでも、好きなんですね。そして、このような状況でも、子どもたちは、人としてまっとうに育っているのです。

 

ある日、お母さんが長期に留守をすることになった。お金もいつもよりたくさん置いていった。お母さんがいないから、全責任が長男の肩にかかってくる。買い物したり、ごはん作ったり、お母さんのおいていったお金の計算をして、家計簿もつける。妹もお兄ちゃんに協力して、家事もし、下の子の面倒もみる。そして、二人とも、勉強もする。この二人の兄妹は、実にけなげで、責任感も強い子たちです。そして、父親ちがいだけれど、とても仲のいい4人きょうだいなんです。

お母さんは帰ってこないし、連絡もない。そして、とうとうお金はすっかり無くなってしまう。困った長男は、子どもたちの父親だとわかっている男を二人ほど訪ねて、お金をもらいに行ったりもする。無責任な父親だとわかる場面です。

ついに、電気はもちろん、水道まで止められてしまって、公園の水道を使うしかなくなる。家の中はしだいに汚くなり、彼ら自身も、髪もぼさぼさ、臭くなってくる。

 

彼らの窮境を見かねて、助ける人もいる。少年がいつも買い物をしているスーパーでは、売れ残りの食品を、長男にやっている。スーパーで、長男は、万引きの疑いをかけられたこともあった。でも、彼はいかに貧乏でも、決して万引きはしない。そういう子なんです。

 

とはいえ、長男自身もまだ子どもです。友達と遊びたい。野球もしたい。たまに、以前通っていた学校の友達の仲間にいれてもらって、いっしょに野球することもある。万引きしている悪ガキでも、友達になりたくて、家に誘って、いっしょにゲームをしたりする。でも、そのうち彼らも来なくなる。家の中が乱雑で、臭かったりするからですね。

長男が、だれかに、施設などに救いを求める方法もあるんじゃないか、と言われて、こう答える場面がありました。「そうすると、きょうだい4人一緒にいられなくなる」と。これも、印象的な場面でしたね。

 

そんなある日、長男は、学校をさぼって公園で過ごしている中学生の少女とであう。少女は、学校でいじめにあっている。家にも居場所がないようす。

こうして、彼女は彼らの家に来るようになって、彼らと家族のようになっていきます。

ところが、上の二人の子がいないときに、小さい妹が椅子から落ちて、打ち所が悪くて死んでしまう。

かわいがっていた妹が死んだと知った時の衝撃の大きさは、きょうだいにとって、はかり知れないものだったでしょう。でも、映画ではそこは描かれないまま、最終章にむかって、たんたんとつづきます。

長男と長女と、そして中学生の少女の3人は、死んだ妹を車付きの旅行バッグにいれて、電車に乗って、空港の空き地にうめに行くのです。無言で、固い土を手で掘りつづける姿が、彼らの深い悲しみを強く印象づけます。

 

そのあと、お母さんから手紙とお金が送られてくることで、少しだけほっとする結末になります。お母さんは、再婚していたのでした。

 

このような暮らしをしている子供たちがいることを「誰も知らない」

 

この映画には、子どもたちが、そのような、極限の暮らしのなかで、それでもお互いに大切に思いあって、むしろ大人たちより、人としてまっとうに生きている、その感動があります。

と同時に、映画は、今の社会に広がっている底辺の風景を切り開き、わたしたちの生きている社会の構造が、どれほどいびつで、残酷なものであるのかを、明らかにするのです。

子どもたちを育てるのは、社会全体の責任なのです。