№15 マーマレードと溝さらい
「ブログ頭」と言いながら、一週間以上、お休みしてしまった。
悪いのは、マーマレードである。
繕いものと読書とピアノのほかに、まだ趣味があった。瓶詰である。無農薬のミカンの皮があると、これを瓶詰にしようと、むらむらと意欲がわいてくる。
言っておくが、この瓶詰は、自分が食べるため、というより、ほとんど人にあげるためのものである。頂き物のお返しとか、お見舞いとか、おみやげとかにする。
今年はことのほか、この皮が集まった。娘が例年よりたくさん無農薬のミカンを買ったらしい。そして、干した皮を持ってくる。
なかなかの大量なので、瓶詰は趣味、と言えど、とりかかるにはちょっとした勇気が要った。マーマレードづくりは、単純ではあるが、ジャムの内でいちばん手間がかかるのである。それでも、ジャムの内で、少し苦みのあるマーマレードがいちばん好きなので、なんとかがんばりたい。
繕いものも、あと少しになったし、ちょうどと言うか、ミシンがまたもや動かなくなったので、しばらく息子に預けることになったし、重い腰をあげて、マーマレードづくりにとりかかったのである。
ミカンを大鍋で、何度もゆでこぼし、そのあと、包丁を研ぎ、細く刻まなければならない。ビンも煮沸しなければならない。
今回は、けっきょく、4日間もかかってしまった。
いつもは、ストーブを炊いているころにマーマレード造りをする。今年は、もう夏に近い。ガス代もかなりかかる。
ところで、瓶詰にする過程で、ちょくちょく味見する。できあがったあとも、瓶詰の残りを食べなければならない…。訂正! 「食べなければならない」のではなく、つい食べてしまう。やはりうっとりするくらい、おいしいのである。
娘が取り寄せてくれる沖縄の砂糖(黒砂糖ではなく、茶色)がおいしいせいか…。
そして、食べ過ぎて、胃が悪くなってしまった。マーマレードのせいだけではないが、それは省く。
胃はむかむかするし、口内炎はできるし、おまけにのどの痛みもとれない日が、何日も続いた。薬を飲んでもなかなか治らないので、二日間絶食した。
かなりよくなったが、今も、胃の調子は本懐ではない。
体調が悪いと、ブログ頭もしぼんでしまう。
以上が、ブログお休みの弁である。(弁解の弁が長うござる。)
さて、少しよくなったこの日曜日は、部落総出の草刈りの日だった。つれは、今住んでいる新宅の草刈りに、わたしは、実家の「あやの里」のある、隣の部落の草刈りに出かけた。
わたしは、草刈り機(ビーバー)は使えない。そこで、いつも溝さらいをやる。溝さらいも、けっこうな重労働なので、これも、来年もできるかどうか、というところである。
仕事自体は、きらいではない。雨上がりの空はさわやかで、若葉のにおいにつつまれてやる仕事である。この部落の溝は、落ち葉と土と石ころだけで、汚いものは何もない。肥え太ったミミズが出てくるぐらいなものである。きらいな仕事ではないが、何せ、歳は取りたくないと言うが、疲れやすくて、ホントに休み休みである。(絶食した後だし。)
でも、もうすぐ80歳ではあるが、わたしより歳上の兄さんたちが、がんばっているので、嫌とは言えない。ヨタヨタでも、やれる間はがんばらねばならない。
ほぼ一人で溝さらいを終えたころ、山の上からビーバーの兄さんたちがやってくる。この部落の人たちは、きもちのいい人ばかりで、みんな仲良しだ。部落の人たちと出会えるのはたのしい。何歳になっても、「〇〇ちゃん」と、子どもの頃の呼び名で呼び合う。
(裏ではいろいろあるのは、どこの世も、いつの世も同じである。)
でも、最近めっきり部落の集まりが少なくなった。高齢化率がぐんと進んで、いつまで部落が存続できるか、心配だ。
コロナで、都会から地方への移住者が増えそうだ。先日のBS世界のニュースで、パリでも、地方への移住者が増えそうだという報道があった。
家でぎっしりつまった東京の航空写真をみていると、まさしく異常な世界と思ってしまう。
コロナ禍が、本当の意味で、生活の転換をうながすものになればと願う。
わが新宅は、この部落の果てにある。うちより先の家は、もう人が住んでいない。よく陽の当たる、使っていない畑もたくさんある。もったいないかぎり…。
若ものよ、来たれ!と言いたい。