究極の簡単料理? と「水」のこと

ある夕食のとき、連れが、ごはんに鰹節をのせ、醤油をかけて食べるのです。「うまいぞ」って言います。

「ええ? ほんと?」と言って、半信半疑でまねしたら、これが、おいしい。

「ほんまや、おいしいねえ。」と納得しました。

考えてみると、鰹節入りのおにぎりと同じですものね、おいしいはずです。

これに、焼きのりをぱらぱらとかけると、言うことなし。

 

それから、わたしは「ねこ飯」も好きで、これは、ときどきやります。

ご飯に味噌汁をかけて食べるだけ。おいしくて、食欲がないような時でも、案外食が進む。え? 自分もやってるって? 

 

おつゆが切れているときは、お椀にとろろ昆布と鰹節を入れ、醤油をかけ、その上から熱湯をそそいで、さあ、できあがり。これも、実にうまい!

ゴミも出ないでしょ。(出た! 「ゴミ敵」バーサマ)

「料理」の名には、値(あたい)しない? 

でも、あと、めざしと、つけものでもあれば、ごちそうになるわ!

 

「ゴミ敵」と言えば、わたしは、「水」も大切に思っています。

食事後の洗い物でも、特に油汚れは、フライパンでもお椀でも、ぼろ布でふき取ると、けっこうぴかぴかになります。あとは、水洗いでだいじょうぶ。

洗剤はほとんど使いません。洗剤も置いていますが、障害者作業所の、不要食用油を原料にした洗剤を使っています。石油から使った合成洗剤も「敵視」!

 

思い起こせば、子どもの頃、大都会大阪の片隅に住んでいたわたしたちきょうだいは、毎年夏休みになると、子どもたちだけで岡山の父の実家に、1,2週間ほど遊びにいかせてもらっていました。

そこは、岡山県中部の山の中にぽっかり開けた町でした。

おじさん(父の長兄)の家(だから、父の生家)では、一人ひとり、ふたつきの箱膳に自分専用のお椀やお箸をいれておきます。食事の最後に、お椀でお茶を飲んだら、そのまま箱膳にしまいます。その都度、洗わないのですね。一日に一度くらいは洗ったかもしれません。

 

母屋の離れは、大きな水車小屋になっていて、その隅に流しがあり、食事もそこでとることになっていました。

小屋の中に、屋根裏に届くようなでっかい水車がぐるぐるまわっていて、水車にくっついている大きな杵が、いくつかの石うすのお米をつくしかけになっているのです。精米所でもあったんですね。小屋の中では、いつもストン、ストンとお米を搗(つ)く軟らかい音がしていました。

じつは、小屋の床下を、表の川から引いたセンゲ(用水路)が流れていて、その水で水車をまわしているのでした。センゲは、家の裏手を流れている本川につながっていました。

 

川の水は、とてもきれいでした。おじさんは、毎朝、センゲの水で顔を洗い、口もすすぎます。おじさんは、センゲのそばで、まず大きな手でパンパンと音をたてて、お日様を拝むのが習慣でした。今でも、くっきりと思いだします。

背が高く、がっしりしたおじさんで、顔もいかつくて、何となくこわいようで、ほとんどおじさんとは話をしなかったのですけれども。

お風呂の水も、センゲから桶で水を汲み、天秤棒で運んでいました。中学生くらいの従兄がその仕事をやっていましたが、なかなかの重労働に見えました。

ともあれ、川の水は、飲めるほどきれいだった、ということです。

 

大阪の、コンクリートに囲まれて育ったわたしにとって、貴重な田舎体験だったと思います。都会暮らしが肌に合わなくて、長野県に移住したわたしですが、この子どもの頃の田舎体験が原点になっているのかもしれません。

この田舎の想い出はいっぱいあるのですが、それはまたにして、ともあれ、水も汚したくないのです。

なので、食事に使った椀や皿は、まず少し水ですすいで汚れをさっと落とし、汚れた水は流しのそばにおいてあるバケツにいれ、たまったら外の草むらに捨てます。(連れの担当。)

 

ここいらの部落に水道が通ったのは、そう昔のことじゃありません。と言っても、40年くらい前のことになるでしょうか。今は施設に入っている97歳になる、お隣のおばさんは、水道が通ってうれしかった、と言っていられました。

部落の集まりでも、水を家の下の川から桶でくんできたはいいが、途中で転んでこぼして泣いた、という話を聞きました。この部落にお嫁に来た人の話です。

 

井戸か天水(雨水)か、川から水を得ていた部落です。

以前、役所の水道課の人が、この部落一帯の水の使用量は、ほかの地域より少ない、と言っていられました。恐らく、長年の苦労の体験から、水道になっても、水を大切にする気構えがあるのでしょう。

 

この地域では、アルプスから流れる伏流水をポンプでくみ上げて、各戸に流しています。だから、とてもおいしい水なのです。

 

このごろ、わたしは、出かけるとき、水筒に水を入れることが多くなりました。

いのちを支える、もっとも大切なものが「水」です。大切にしたいと思います。