コロナ禍の後の世界は… その一 ―「競争」ではなく、「協力」と「連帯」(つながり) ー 

コロナ禍は、いわば「自然災害」である。ただ、その及ぶ範囲が世界ぜんたいであるという点で、歴史上かつてない、特異な災害ともいえる。

しかし、世界じゅうに被害を及ぼす災害であっても、コロナが与える影響は、国によっても、同じ国の中でも、異なる。

「人災」の面が強くでているのも、新型コロナ禍の特徴である。 

 

現在、最大のコロナ犠牲者を出している国がアメリカ。感染者はついに200万人を、死者は11万人を超えた。

黒人男性を警察官が殺した事件で、2週間たった今も、全米で抗議のデモがやまない。1968年のキング牧師暗殺への抗議デモ以来の大規模なものだという。

黒人だけでなく、白人も、ヒスパニック、アジア系の人々、そして若者たちも、自分たちの問題として参加しているのが特徴だ。

 

ことに、トランプ大統領が、人種差別に反対する市民の声に耳を貸さず、軍隊を投入してデモを鎮圧する姿勢を示したことは、市民の怒りを募らせた。 

トランプ大統領の新型コロナに対する無策・失策。しかもその責任を他へ転嫁しようとする汚いやり方への批判もデモの底流にあるだろう。

 

アメリカには、経済格差、医療格差などの根深い差別構造がある。黒人層のコロナの感染・死者数は、白人層の2倍にもなるとか。ちなみに、アメリカは全国民対象の健康保険制度がない国である。

さらに、人種差別の問題はアメリカだけの問題ではないと、アメリカのデモに連帯するデモが世界中にひろがった。

 

世界第二位の感染者を出しているブラジルの大統領ボルソナロ氏は、ブラジルのトランプと言われているそうで、コロナなんて何ものぞ、とコロナ対策を軽視して、経済活動を優先。その結果は、コロナ禍はすさまじい広がりを見せている。

 

イギリスの首相ジョンソン氏も、イギリスのトランプみたいな方だったが、自分自身が早々にコロナにかかり、医療スタッフの懸命の治療で、死の淵から辛うじて甦った自身の体験から、これまでの路線の修正があるようだ。

イギリスの、「鉄の女」と言われたサッチャー元首相は、「新自由主義」の申し子。「社会なんてない」と言ったそうだ。「社会」はなくて、「市場」だけがある、という意味か…。彼女は、「医療サービス」「社会福祉」など公的なものを切り捨て、すべてを「個人」の「自己責任」とした。

サッチャー元首相は、安倍首相がお手本とした方である。

 

しかし、ジョンソン首相は、報道によると、最近「やはり社会はある」と述べ(当たり前じゃないの…。)、それまでのコロナ放任政策から、ロックダウン(強制封鎖)と休業補償に政策転換したそうだ。公衆衛生、医療、介護などの社会保障システムを守り、倒産、失業の危機から国民を救わなければならない―と。

(これも当たり前のことですよね!)

 

「新・自由主義」とは、端的に言えば、わたしたち民衆には「不自由」を強いる、グローバル大企業の、まことに、得て勝手・強欲なやり方のことである。

(「強欲もうけ主義」と言っていいかもしれない。) 

要するに、「競争」に勝ち残って「利益」を得るために、「効率」を最優先し、もうけを邪魔する「規制を撤廃」し、わたしたちの命や心の保持に欠かせない医療や水道、教育などの「公的」なものまでも、貪欲な儲けの世界にさらすこと。

 

規制撤廃」がさもいいことのようにさんざん煽って、必要な規制までも撤廃させようとする。そもそも私たちの生活は、多くの「規制」(憲法と法律)によって守られている。「自由」に人殺しをしていいはずはなく、汚染物質を垂れ流したり、毒物を食品に添加していいはずもない。

 

「利益」と「効率」「競争」の「新・自由主義」システムが世界じゅうを覆った結果、極端な貧富の差がうまれたのはご存知の通り。

貧富の差だけではない、新・自由主義は、わたしたちの「人」と「暮らし」、「社会」のあり方を、すみずみまでゆがめてきた。

 

「新・自由主義」の端的な例のひとつは、簡単に首を切れるようなシステムにして、労働者を使い捨てとするやり方。「非正規」「派遣」労働の拡大だ。

今回のコロナ禍の最大の犠牲者は、「非正規労働者」や「フリーランス」と言われる職種の人たち。

 

しかし、コロナ禍は、わたしたちの暮らしが、新・自由主義の「競争」と「効率」「利益」一本やりでは立ちゆかないことを、明らかにしつつある。

利益も効率も度外視して、貧困に陥った人々の支援をしなければ、社会は崩壊する。困難な国の支援をしなければ、世界全体が混乱の渦巻きに投げ込まれる。 

 

コロナ禍を克服するためには、世界中が「協力」しなければならない。どこかの国、どこかの地方でコロナ禍を許せば、そこが世界に広がる火種となる。

もともと人類は一人では生きられぬ弱い存在で、「協力」によって、かろうじて生き延びてきた。

「協力」こそが、本来の人間の姿である。

コロナ後の世界は、人間の本来のすがたをとりもどすものでなくてはならない。