人類の歴史は感染症との闘いでもあった

新型コロナは、いったん終息しそうに見えても、またぶり返す可能性があると聞く。

そもそも、人類の歴史は感染症との闘いでもあった。人間は、手に負えない感染症(細菌やウイルスによる)にたびたび襲われた。いわゆる「疫病」(はやりやまい)だ。

わたしの子どもの頃(というと、60~70年前)は、ハシカで子どもがよく死んだし、小児麻痺(ポリオ)もはやっていたのも覚えている。ポリオで、脚が動かなくなって、股を大きく開いたままの幼児を、背負い紐で背中にくくりつけたお母さんを時々見かけたものだ。ハシカもポリオも、まだワクチンがなかった。

疱瘡(天然痘)もワクチンができたから、かからなくなったけれど、古くは、伊達政宗が片目を失ったのも疱瘡のせいだとか。

肺病とも言われていた結核は、効く薬がなくて、死病と言われていた。戦後やっと抗生物質ができて、結核の死者は激減したけど、わたしの小学校のときの同級生の男の子が、中学のとき、結核で死んでしまった。入院していると聞いて、友達と一緒に一度見舞いに行った。大柄で、とても元気な子だった。

 (このM君以外にも、若くて死んでしまった人の記憶はいつまでも残るものだ。死者は生者と共に生き続けるということを、実感する年齢になった。)

 フランスの作家・アルベール・カミュの代表作小説『ペスト』(1947年)は、とても面白い小説だったが、今よく読まれているそうだ。ペストは、ネズミのノミが媒介する、きわめて致死率が高い(80%にもなるそうだ)、おそろしい感染症だ。なんども世界的流行があり、14世紀に起きた大流行では、当時の世界人口の22%にあたる1億人が死亡したと言う。

(ちなみに、第二次大戦中の日本軍は、ペストやコレラチフスなどの生物兵器の開発をおこなった。中国人の捕虜を生きたまま実験台として使い、実際に飛行機から中国各地にペストノミを散布した。戦争となると、人間は悪魔になる。)

 スペイン風邪というのもあった。1918年に、アメリカを震源地として全世界に広がった。当時は第一次大戦開始の4年目、アメリカが参戦して1年目。狭い兵舎や、輸送中の換気の悪い船の中につめこまれた若い兵士たちの命がつぎつぎに奪われていったそうだ。

 当時は戦争中、戦争に勝つ、という目的が最優先され、世界への情報提供も制限されて、対策が遅れた。その結果、世界に爆発的な流行をもたらし、1918年から大戦後の20年までの3年間で、なんと1800万人もの命が奪われたとか。

 日本人も、スペイン風邪で、40万人近く亡くなったと言う。 

 最近の世界の感染症と言えば、1976年にアフリカで見つかったエボラ出血熱。感染源はコウモリらしい。致死率が80~90%と、とても高くて、これにかかると、ほとんどの人が死ぬ。

 2002年中国で初期の感染が起こり流行したSARS〈サーズ〉(重症急性呼吸器症候群)。これも、コウモリからか。

 2012年に中東で見つかったMERS〈マーズ〉(中東呼吸中東呼吸器症候群)。ラクダが宿主だとか。 

 これらの感染症の死者は数百人から2000人ほど。しかし、世界じゅうに波及する恐れがあった。

 こうしてみると、新型コロナに限らず、わたしたちは、今後、同じような感染症の世界的流行が起こりうるということを前提にして、社会のあり方を考えるべきじゃないのか。

 今の社会は、医学の極限までの進歩(たとえば、遺伝子操作だとか、移植だとか。)によって、総ての病気を克服できると、傲っているのように思える。

 自然は、そんなにたやすく人間が征服できるものではないと思う。

 今回の、いわば、自然の復讐とでもいうべき事態に対して、いろいろ考えさせられる。